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《リレーエッセイ1》
当NPO副理事長 太田 正孝 様


 物心がつき始めた頃は戦後復興真盛りの時代だった。みんな貧しかったが公園や路地で元気に遊んでいた。 教諭の父と商家出の母の間で僕の進路に異論があった。結局本人に任せたらええと「勉強だけはしときや」以外は言わなくなった。

 僕は地形図と地球儀が好きだった。「ここはどんな所やろか」調べるのが楽しかった。将来海外に行けそうな人文地理の学者にと思うようになった。ぼやっとした進路選択だったが何とかその道を歩むことが出来た。人文地理学は理系文系双方にまたがった幅広い領域がある割にはマイナーな学問なので教授にいたる道は狭い。皆独自の研究領域の開拓に精をだし大学院合格を目指していた。

 大学3年の時に或るテーマをもらい調査研究結果の論文を書いていたこともあり卒業後は大学院に進めることがほぼ確実になっていた。その頃調査旅行費用を捻出するため日夜アルバイトをしていた。たまたま海外通の家庭教師先の親御さんから「航空会社はこれから発展するよ、就職先にどう?」と学者の道から転進を薦められた。自分の進路について初めて迷いが生じた時であった。 その2年前の1964年4月海外渡航自由化(観光目的旅行解禁)と東京五輪で日本も戦後復興期を脱しつつあった。

 当時どの航空会社も赤字だったが将来性はあった。入れば世界を股にかけて活躍できる機会が多いかもしれないという期待はあった。幸運にも合格できたので進路変更して会社に入ることを決めた。大学の恩師からは「アホちゃうけ」と叱られたが最後には「お前の選んだ道や、しっかり頑張りぃ」と激励された。その後も何かと助言をもらうことになる。

 20年後に僕が西ドイツ駐在の時に恩師がボスの或る研究会の欧州調査で来てくれた。僕に「ドイツの歴史地理をみんなに話してくれ」というので講演したときのことを思い出す。地理学と会社のキャリアが「接近遭遇」したときでもあった。

 人生において一筋の道を極めようと思っても途中で分岐する道や横切っている道、或いは新しい道に遭遇する。その都度選択に迷ったり誘惑されたりするのが常人だろう。将来は誰にも分からないので自ら決断し続ける他ない。後にその時の決断・選択が最適ではなかったと悔やむかもしれない。その時に試練の機会に恵まれてよかったとプラス側に思えれば挽回可能である。こう捉える人はキャリアの正道を歩んでいると言えるのではないかと思う。


*太田正孝様プロフィル:1967年日本航空入社、米国中西部地区代表兼シカゴ支店長、シカゴ日本商工会議所副会頭、日航ロジスティクス取締役などを経て、1998年ヘイコンサルティンググループに転職、取締役副社長など歴任し、2007年あすか人事コンサルティング代表に就任、現在に至る。

著書「成果主義人事・給与制度はこう作る」2002年、中央経済社。

2013年NPO法人キャリア権推進ネットワーク設立にも参画、副理事長就任。

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